パソコン 販売の珍しい効果
技術者の思い、マニアを主体とするユーザーが期待することと市場のニーズ、どういう車が売れるということが割合簡単に一致していて、非常に仕事がやり易い時代でした。
それが自動車も次第に成熟商品になってくる。
販売が頭打ちだということは、その商品としては成熟商品になってくるということです。
そうすると、作れば売れるではなく、お客さまがその車を買いたいと選んでくれるようなビジネスモデルづくりをしなければならない。
車だけではダメだ。
車自身、それから販売戦略・売り方・サービスを、自動車は必ずあとのサービスが必要ですから、サービスをどうするか。
そういった全てがひとつのものに意思統一して動いて行かないと市場で勝てないような時代となります。
つまり一般とだと思います。
自動変速機の話をしましたので、コロ歴史」と言いますか、自動変速機の簡単な歴史を紹介したいと思います。
時代区分は勝手に私がつけた名前ですが、先ず「夜明け前」。
夜明け前と言ったのは、自動変速機に使う技術の要素が、一つひとつ開発され始めた時期だからです。
この時期はどちらかと言えば、ヨーロッパでたくさん開発されています。
トルクコンバータという部品。
これがなかなか優れものですが、ディーゼルエンジンを使う船で効率良くスクリューを回すために、回転速度を落とす必要がありますが、それに非常に具合が良いということで、船ラックに使ってみた。
そのうちに今の、現在も使っているトルクコンバータとほとんど同じものが開発されたのがこの頃です。
だいたいヨーロッパ中心に進んでいて、アメリカのほうは、初めからそれらを使った変速機という、実用は、アメリカで機能開発が一段落し大量生産が定着し始めた頃に(第二次大戦が終り戦後復興が始まった時期になります)やっと研究が始まりました。
今日お話しする合弁企業がそれから十五年あまりたった一九七ロックアップ・クラッチというトルクコンバータの不能率を減らすための技術とか、三段だったのを四段、五段にしていくとか、あるいは電子制御できめの細かい制御をする技術とか、そういうのをどんどん世界に先行して開発して実用していったのは日本です。
この歴史を一口で言えば、基礎となる要素技術が主にヨーロッパで開発され、自動変速機システムとしての実用化がアメリカで完成し、その後の機能高度化を日本がリードしてきたことになります。
性重視といいますか、要素の技術というよりはそれを使った便利なシステム(機械)という位置づけ・視点での開発が進み始めておりました。
次の蕊明期というのは、要素の技術開発が進んで、この時期になって、トルクコンバータと三段のギアボックスの組合せが、自動車用の自動変速機として定着してきました。
そういう意味でここを蕊明期としました。
アメリカでは大量生産方式も確立きれて安く信頼性高い製品がどんどん生産されるようになってきました。
この辺はアメリカ中心に物事が進みました。
これから暫くは自動変速機の第一次安定期とも言うべき時期で、機能的には同じものを、いかに安く、信頼性高く数多く作るかという方向に、技術が進みました。
この第一次・二次石油危機の前後から、先ずアメリカで排気問題・燃費問題がクローズアップされて来ました。
燃費問題は、皆さんご存知の通り当初石油資源不足・価格高騰が問題になり、その後地球温暖化という環境負荷問題へと姿を変えてきました。
このような時代背景を受けて、また自動変速機が動き始めましたが、ここを動かしたのは日本です。
日本の自動変速機いよいよ本題に入ります。
このアメリカで自動変速機が完成する時期には、研究が非常に盛んに行われて数多くの技術が生まれました。
これらの技術が特許という形で権利化きれて、これがカーメーカであるビッグスリー、部品メーカであるボルグワーナー社の技術資産となりました。
ポルグワーナー社を中心共同開発が行われたこともあって、この四者問の技術内容は錯綜もしており、たいへん厳しい競争・喧嘩が起きて混乱した結果、クロス・ライセンスが結ばれました。
お互いに「おれの発明した技術は使わせない」ではなくて「もう喧嘩やめた。
このグループ内では仲良くお互いの技術を自由に使おうではないか」と。
「そのかわり、この外側には簡単には渡さない。
渡すときは金(ライセンス料)をワーナ(株)当時、ATの有効な特許が多く残っており紛争をさけて技術援助契約を結んだ以後、10年強に渡り莫大な技術援助料を支払うことになったので外に売ろうという基本スタンスを持った会社でした。
私が行ったジャトコは、自車用の自動変速機を作る工場を造りたいということでカーメーカが準備した会社ですから、親会社であるカーメーカの完全な管理会社で、なかなか自分で動けない自分では外に売らないで、親会社に製品を渡すだけという格好でスタートしました。
この点がその後の二社の大きな差を生んだ要因の一つとなりました。
二社の差ということはひとまず置くとして、ノウハウ(ここでは特許として権利化きれた技術資産のことですが)の価値と重要さに触れたいと思います。
技術開発はお金と時間の掛かる大変な仕事で、判ってしまえば簡単なことも多く先んじて出来たからこそ価値があるという性格ですが、その成果を上手く権利化した会社(この例ではフォードとボルグワーナーですが)が、非常に莫大なお金を十数年にわたって、ここから利益を上げる形になりました。
そういうのが悔しいから一生懸命勉強して、その次の時代には日本側が優位に立つという結果になったのも、この悔しさが駆動力にもなったわけですから、何がどう響くか分かりませ取るよ」というわけです。
自動変速機に関する基本的な技術は殆どここが握っていて、これらの技術をさけて新規参入することは大変難しいという状況になりました。
このようないわば自動変速機の技術シンジケートがまだ有効であった一九七○年に、現在のジャトコ(私が行った会社で、当時は日本自動変速機という名前でした)が設立されました。
アメリカのフォードと日産自動車・マツダ(当時は東洋工業といっておりました)の三社合弁で作られました。
つまりこの会社の特長は、カーメーカが集まって部品会社を作ったということです。
一方トヨタ系では、一九六九年にアイシン・エイ・ダブリュー社(当時はアイシン・ワーナーといっておりました)を設立しました。
アイシン精機とアメリカの部品メーカのボルグ・ワーナー、この二社による合弁です。
いずれも日米の合弁ということでアメリカ側が出資比率五十%と支配権を握っていました。
私からすると残念ですが(笑)、アイシンエー・ダブリュー社は、部品メーカが作った会社で、初めから自分たちのものです。
いずれにしても、この事例のアメリカ側二社は、この十数年でかなり大きな利益を上げたのは事実です。
親会社でATこれはジャトコの歴史で「ある自動変速機メーカー」といっていますが、私が居たジャトコという会社のことなんですが……。
当時、日産自動車もトヨタ自動車も自動変速機の生産を、この数年前に始めていました。
ただし、まだ数が非常に少なくて、月に数百台から千台というペースでした。
一方、アメリカは月に十万台・二十万台という生産量になっていました。
ですから信頼性の高い製品を大量に安く、能率よく作るという技術では、日本とアメリカで大きな差がありました。
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